InternetExplorer4以上またはテキストブラウザ推奨。横幅はあまり長くない方が読みやすいかと思います。
この文章はゆうさんの「星のかけら」に投稿したものと同一です。
はじまりは中三の冬休み。従姉妹のいるお店に手伝いに行った時に読んだりぼん。その時の一番は「星の瞳」ではなかったけれど、
翌月初めて自分で買った3月号の「強い子よい子元気な子」にやられました。そして決定打は、6月号のカラー表紙(2巻の表紙)。この絵
を見た瞬間の感動は今でも忘れられません。
最初は香澄の恋の行方しか見えていなかったものが、1巻が発売されて手元になかった話が埋まり、何度も何度も読んでいるうちに他
のキャラクターの気持ちをだんだんと思い巡らすようになりました。8話あたりから司が香澄を好きなんじゃないかという疑いを持って
いた僕にとって、司の「香澄ちゃんのためじゃ……ないさ」の一言に狂喜したのです。純情少年 司の株が一気に上がったのは言うまで
もありません。それでもこの頃はまだ香澄と久住が素直にくっつくと思っていましたが。
しかし大団円かと思われた中学の卒業式、すべてが壊れて香澄が沙樹に向かって「ばかじゃないよぉ…」と言った瞬間、僕の視点に
劇的な変化が訪れました。「いやまったく香澄はばかだなあ」という考えに襲われ、突如僕の関心は真理子ちゃんの幸せに移ってし
まったのです。りぼんのお約束上最後は香澄と久住がくっつくはずだ、と思いながらも真理子ちゃんと久住くんというカップルを夢見
る日々のスタート。そしてそれならば香澄と司がくっつくのもいいなあと。
高校編での真理子ちゃんの想いの描写は中学編よりはるかに繊細で一途に思い悩む真理子ちゃん。なんと愛らしいことか~。などと
思う一方でキャラクターのプロフィールが公開されて「いて座のO型で身長・体重も近いじゃん」と久住に親近感を覚え始めた僕。高校
編では文化部に入ってくれたのも好都合と僕自身が「久住くん」たることを目指すようになりました。学校の成績はもとより、料理作
るわケーキ焼くわ…その結果が代ゼミ模試事件。事件の話は別に書くとして。天文の道を目指さなかったのは首都圏の空気は汚すぎた
から。とある日の夜山奥から見えた満点の星空を眺めながら「こんな環境にいたら天文の道目指してただろうな~」と思ったもので
す。
さて、そして夢がついに現実になる日が来ます。1年弱待ち望んでいたこの瞬間。久住が真理子ちゃんの告白にOKするなんて。たちま
ち崩れる儚い現実だとしても、3年分の想いを込めたチョコレートを渡して終わってしまうのだとしても。バレンタインの別れのシーン
は泣けますとも。ええ。
僕の高校生活の終わりとともにちょうど連載も終わりました。不運なことか幸運なことか男子校生だった僕は現実の恋愛とは無縁の
まま、星の瞳のシルエットとともに3年間を過ごしました。でも振り返ってみてやっぱり幸せだったと思うのです。
りぼんからの切り抜きなど。自分でりぼんを買うようになったのは第4話からなので、それ以前のは従姉妹のりぼんを強奪(汗)「乙女ごころ夢ごころ」も強奪品。
「金の海星の夢」はたぶんりぼんオリジナルの巻頭でしょう。下段中央はもちろん全話分の山。
カレンダー。
1989,1988,1986
1993,1992,1990 かなあ…また確認します。
袋系の付録。水着姿はめずらしいらしい。上段中央の布製のやつはたぶん全プレ。はじめのうちは妹の名前を騙っていたが、後の方は自分の名前で応募していたかもしれない。
左は「まんがかタイムズ」下段中央が「まんがかハンドブック」どちらも漫画家の素顔に迫ってしまう危険アイテム(笑) 「指環物語」「風と木の詩」「太田裕美」への道しるべでした。
下段右は、書店販促用カレンダーを誰かからもらったんだと記憶してるんですが…
星の瞳キャラが表紙の回。全部じゃあないと思うけど残っていたのはこれだけです。
その他もろもろの小物。シール、アイロンプリント、メモ帖、パスケース…
とんケチャ約3年分。残念ながら柊あおいさん挿絵時代のものは存在しない。ちびまる子もブレークする前から面白いと思っていたが、とんケチャはそれ以上に面白く切り抜きするようになった。最後には僕の投稿も掲載されたしね。
トランプ。柊さんの絵が入ったのが2種類。上半分の奴はケース紛失。こいつは一人占いによく使っていたような気がする(汗)下半分の方はほぼ未使用です。
ポスターたち。右上の二人で星を眺めるやつはかなり長い間部屋に貼っていた。おかげでぼろぼろです。
このノートには1988年1月号以降毎月の感想、というより分析を書き連ねている。読み返すと恥ずかしいかなーと思いきや、あまりに今の自分の思考パターンと違うのでそんなに恥ずかしくないかも。星降るノエルはたぶんりぼんオリジナル(びっくり増刊号かも)の巻頭でしょう。
Feelin'Summer は1986年夏に中古レコード屋をまわって買った記憶があるのだが、単行本を確認すると2巻が出る前なのでどこで情報入手したんだろう。りぼオリかなあ。
イメージアルバムはCDを買った後、店頭でLPのジャケットを見たらふらふらと買ってしまった。今となってみればとんケチャもLP買えばよかったなあ。
連載当時は立体ペーパークラフト系の付録もまじめに作って飾っていたりしたのですが、それが逆に災いして空間効率悪すぎて廃棄対象になってしまいました。プラモデルといったら接着剤を使うものだと思っていた当時、いまどきのプラモデルのように接着剤無しでできる立体、しかもそこそこ強度が出ている付録はなかなか構造的に面白いものでした。
その付録を作り方を見ないで組み立てるのはいい頭の体操で、数学の中でも幾何学行列計算が大好きになった一因なんじゃないかと思います(笑)
なんでもいいからもっと詳しい画像が見たい(未整理・しかもピンボケ多数)
東北大学の計算機センターBBSに他大学から殴りこんで書いた文章を引き出すと微妙に違うかもしれません。たぶん1992年頃。
それにしてもあれからもう12年か…(感慨)
もう毎号クライマックスの連載もさすがに終結に向かって真っ直ぐ走っていた1989年1月、僕の大学受験もクライマックスを迎えていました。第一の山は今はなき共通一次試験。一発勝負ミスは許されないその試験なのに、得意なはずの数学で20点近く失って失意の中にいました。当時のクラスメートは理系であれば数学・理科は満点で当たり前の世界です。
それはそれとして、2月3日になればりぼん3月号が発売され「…正直な自分の気持ち伝えるの」と言う香澄。星の瞳のシルエットと3年間を過ごしておそらく一番心に染みたことは、言葉にしなければ伝わらない、行動しなければ伝わらない、という事。多分そんな事を布団のなかでぐるぐると考えていたのでしょう。一方高3の秋以降ほぼ毎週模試づくめだったのに、1ヶ月以上もぽっかり空いたスケジュールの中で、『自分が初めて受けた模試はちょうど1年前の2月だったなあ。久住が現実にいたとしたら、高2なんだよなあ。』という考えが浮かびます。作品中、高校受験の発表で昭和62年と書いてあったのを見て以来、1971年生説は僕の中に完全に定着していました。
『もし青陵高校が現実に存在したら久住の名前で模試を受けよう。』インターネットのある今の時代なら一発で検索できるので連載中に調べていたでしょうが、甲子園に星陵は出てくるけど青陵って本当にあるのかなあ…とその時点では分かっていませんでした。そしてもう使わないつもりでしまわれていた、共通一次の申請書類を掘り出しを始めたのです。首都圏で予備校の模試を受ける時には、首都圏分の高校コード表しか配られませんが、共通一次の申請書類には全国の高校コード表が付いている!そしてゆっくりとページをめくって見つけたのが
和歌山県立青陵高校(30114A)
これが最後の一押しでした。
翌日模試の申し込みに代ゼミに向かいます。この時受ける模試は筆記式の予定でした。どっちかといえば減点方式神経すりへるマーク式よりは、どれだけ沢山解答できるかが勝負の筆記式の方が全国トップは狙いやすいと考えたからです。しかし筆記式の試験日が高校の卒業式の日に重なっていたため、申込書を前にして一度はあきらめつつ、やむなくマーク式試験に変更しました。後になって思うとこの偶然もとてもラッキーでした。筆記式を受ける人数は圧倒的に少ないのですから。
マーク式とはいえ、共通一次本番なら2日かける6教科を1日で片付けるので、朝から晩までみっちり試験です。缶ペンケースに青陵高校のコード番号を忍ばせて。終わってみれば首尾は上々、終了後の自己採点と1年前の成績上位者を比べてみるとどうやら全国1位になれそうです。
さて迎えた成績発表の日は3月3日。折しもりぼん4月号の発売日であるとともに、本命ではないけどそれまでに唯一受けた某大の一次試験の発表の日です。朝、両親とともに某大の試験結果を見に行って「おお合格じゃ、よかったよかった」と喜んだ後、秘密任務のため一人別行動~
予備校の近くの本屋でりぼんを買った後、ドキドキしながら成績表を受け取ります。「全国2位。がちょーん。そ、そんなー。誰じゃ1位は。O(仮名)~おーまーえーかー。確かにマーク式試験の上位陣は文系に分があるけどな。むっちゃくやしい~。」直接の面識はないけど、学校では真下のクラスです。なんつっても運動会でクラスのとある係の後任というつながりが。
それでも一応理系4教科では全国1位だったため、代ゼミで1位記念品のシャーボをもらって「模試代金のモトは取った」などと思いつつ帰宅しました。買ったりぼんを読んで、とんケチャに投稿する気は満々。しかし目前に本命の大学入試を控えている以上、さすがに投稿の手紙を書く気分にはなれなかったのでした。そして大学入試から開放されるとすぐに友達と泊りがけも含めて遊びまくる毎日。合格発表、入学手続き、あやしげなサークルに勧誘されてしまったり、と投稿する機会を失ったままひと月が経ってしまいました。これもまた結果としてはラッキーな巡り合わせだったのです。
4月3日サークルに向かうべく家を出て、本屋でりぼん5月号を調達して駅のホームで読み始めました。本数が少ない路線だったので、とんケチャを読む直前あたりで電車に乗ったんだと思います。そのあたりの記憶はおぼろげなのですが。たぶんとんケチャの前に星の瞳最終回は読み終わっているはずです。でもその記憶はとんケチャのページに至って完全に飛び去りました。
「結局投稿しなかったなー」というあきらめムードが一転、代ゼミの投稿を読んだ瞬間に手は震えるし完全に気が動転して、とんケチャの途中で読み進めることができなくなってしまったのです。次の駅(南船橋駅)で電車を降りて、コインロッカーにりぼんをしまった記憶があります。
とにかくこれで投稿すれば掲載されるのはますます確実です。しかし確実であるが故、動転は収まることなく投稿文を書くべく握った万年筆は震え続けたのでした。
とはいえ東大を裏付けるため、一応手紙の投函は駒場の郵便局にしてみたり。ちなみに普段りぼんの懸賞等に応募する際には、神田郵便局に投函していました。
そして迎えた5月2日りぼん6月号の発売。星の瞳の連載はもうないけれど。僕の星の瞳はここで終結したのでした。この時み~やんに「ヘンな奴ぅ」と書かれたのが嬉しかったので、その後もヘンな奴街道を突っ走った気がします。(完)
後日掲載された記念品といっしょに送られてきた紙。記念品ももちろんあるはずなのだが一体どこに行ったんでしょう…
とんケチャ画像を拡大しても読めない!という方からリクエストがありましたので、該当部分のみテキスト化してみました。(2002-6-1 追記)
今年の2月に受けた代々木ゼミナールの模試の結果を見てビックリ! 何と、「久住智史」という人が何科目も満点(全国1位)をとっているのです。しかも学校名が「青陵高」となっているのです。あの久住くんは実在の人物だったんでしょうか!? (千葉県 ○○真理子 他多数)
▼いろいろ届いたのを見て、わかっただけでも数学・物理・化学が100点満点(全国1位)。地理が94点(全国3位)。英語や国語を含めた5科目合計でも、全国2位。志望大学は「京大理学部」。
〈推理(1)〉偶然の一致。しかし高校名まで一致するだろうか。
〈推理(2)〉ウケをねらってPNでもしを受験した。しかし、他の人もいろいろPNでふざけている場ならともかく、他はふつうの名ばかりである。あんなすごい成績をとる人がそこまで不必要にふざけたがるだろうか。しかも、もしウケをねらうだけならばスターや歴史上の人物を選ぶはずである。なぜりぼん読者しかわからぬギャグをあえて選んだのか。ナゾである。誰か知っている人は教えてほしい。名推理も募集するよ。…世の中、いろんな事件があるものだ。
(青陵高の久住智史代ゼミ模試受験のお便りを見せて)こんなのがいっぱい届いたんですけど…。
柊「すごい!!しかも京大理学部って天文学科のある数少ない大学だし。一体…。」
一体…。
みーやんです! 今回の「一般お便り」コーナーは、例の事件への反響から始めるぞ。 例の事件とは、先月紹介した「代ゼミ模試で青陵高2年の久住智史という人物が、異常な高得点(ほとんどの科目が全国1位)をあげた」という事件である。
「久住くん代ゼミ」事件を読んで、ビックリ! みーやん、今すぐ代ゼミに電話をっ。そして彼の住所を調べ、〝今月の有名人〟に出演してもらい、インタビューしてほしい!! (北海道 次は香澄か?)
この反響が一番多かった。
青陵高校は、和歌山の公立高校である事がわかりましたのでお知らせします。「星陵」や「西陵」でない、そのものズバリの星陵はこの1校だけでした。直接学校に問い合わせ、とんケチャに出てもらってはいかがですか? (福井県 ブルーベビー)
このマメな人は、会社員だそうで、これほど全国的に波紋を呼んでいるワケだ。
そんな時「とんケチャ・事件の真相コーナー係」と書かれた封筒が届いた。手紙と共に出てきたのは、〝久住智史・青陵〟と書かれた例の模試の受験票と個人成績表。では手紙を読んでみよう。
みーやんさんへ えー、私が代ゼミ事件の主謀者です(証拠の品を同封)。あのような事をした理由は私の「星の瞳」に対する想いを形にしたかったからです。結局はウケねらいですけど。まあ、こうしてりぼんの有名人になれたわけだし、よかったよかった。」
注: 「主謀者」は原文ママ
…ですと。これを出した、千葉県の元・柊あおいFC準備委員会委員長と名乗るH・Tは、東大1年の男。例の高2模試のあった2月には、高3だった。高2になりすましたのも、天文学科のある京大理学部を第1志望にしたのも全部まんがの久住くんがそうだからだって。第2志望以下の、東大理I・東大理III・阪大理も全国1位。
氏名は本人の申し込み名で受けられるし、あとは和歌山県の青陵高のコード番号を書けばよいわけだ。
「これが縁で柊先生に会えると最高なんだけどなあ。あのペンネームはダテではありません。」だとさ。
ヘンな奴ぅ。まあ誰にも迷惑かけてない所がスマートな事件だけど。でもヘンな奴ぅ。
いまだりぼんを購読しつづけているけど、柊さんを追うことはしなくなってしまいました。そのため銀ハモあたりで止まっています。
太田裕美さんの曲+ファンタジーへの傾注は遊佐未森フリークとして結実。星の瞳連載中に聞いたウィンダムヒルのジョージウィンストンやリズストーリーも好きだったが、遊佐未森の流れで完全にウィンダムヒルレーベルの中では断然ナイトノイズにはまる。アルバムの中ではライブ盤のWhite Horse Sessionが最高~
また、太田裕美さんが遊佐未森のライブにもゲスト出演Holy Acoustic Night。生で聞いたのはこれが初めてだ。星がたりを歌ってはくれなかったけど(笑)その前の年太田裕美ディナーライブに行こうかと悩んだ記憶もある。
2002年の夏、ジブリ映画として耳をすませばの続編?、「猫の恩返し」。楽しみ。
Yummy Loungeというみーやんのオフィシャルホームページが出来ていました。とんでもケチャップも収録されてます。